知ってて当然?時計の歴史6000年総まとめ【全ては一本の棒から始まった】

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時計好きの皆さん、時計の歴史どこまで知っていますか??

僕は時計好きになりたての頃、時計本体ももちろんですが、「時計の歴史」に物凄く興味があり、ひたすらに調べていた時期があります。

先日パソコンを漁っていたら、当時のメモが出てきたので、今日はそれを貼り付けて記事にしたいと思います。

この1記事で、時計の歴史6000年分をぎゅっと学ぶことができます。

時計の歴史を知れば、より時計を好きになること間違いなしなので、少し長いですが、ぜひ完読して下さい!

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時計の歴史6000年総まとめ

サブマリーナと本

以下に、時計の6000年分の歴史をぎゅっとまとめてみました。

時計の歴史を知る=人類活動の歴史を紐解くことになり、とても面白く、ますます時計に愛着が湧くようになると思います。

なお、セイコーミュージアムHPの「時計の歴史」を多分に参考にさせて頂いております。

※これは僕が時計にハマり始めたころにまとめていたノートなので、ですます調ではないですが、ご容赦下さい。

紀元前4000年頃: 日時計の誕生

出典: セイコーミュージアムHP

紀元前4000年: 古代エジプトで【日時計】が発明される。

地面に木の棒を立てて、地面に写った影の位置で時間を把握していた。

ちなみに、エジプトは北半球に位置しており、影の動き方が右回りであったために、現在の時計も右回りとなっている。

紀元前3500年頃: 水時計の誕生

出典: セイコーミュージアムHP

紀元前3500年: 日時計の弱点である夜や雨の日でも使える【水時計】が発明される。

バケツのような土器の底に小さな穴を開けて、水の減り方で時間を把握していた。

ちなみに、この水時計は長い事使用されている。

日本では671年に、天智天皇が水時計を用いて、鐘をならし、初めて民に時刻を知らせた日が、現在の「時の日」として制定されている。

8世紀?: 砂時計の誕生

出典: セイコーミュージアムHP

優秀な水時計であったが、寒い日は凍ってしまい、暑い日は水が蒸発してしまう。また揺れに弱いという弱点があった。

それを克服するため誕生したのが【砂時計】である。

この砂時計は揺れに強いという特性を活かして、1500年頃の大航海時代では、名だたる航海者達に愛用されていた。

かの有名なマゼランは砂時計を18個航海に持って行ったと言われている。

???年: 燃焼時計の誕生

出典: セイコーミュージアムHP

発明時期は不明だが【燃焼時計】というものも発明されている。

これは、物質が燃えるスピードは一定という原理を利用して、燃焼物の燃えた量で時間を測っていた。

日本では、お寺のお香の粉で模様を描き、その燃えた長さで時間を把握していた。

また、電気が無く、ランプで夜を過ごしていた時代には、ランプの油入れに目盛りを書き、油の減り具合で時間を把握していたという。

1300年頃: 機械式時計の誕生

1300年頃: イタリア北部で最初の機械式時計が生まれた。

そのころ教会は砂時計や水時計など駆使し、1日朝昼晩の3回、3時間おきに鐘を突く習慣があった。また、厳格な修道院では、15分おきに鈴や鐘を鳴らし、読書やお祈りの時間を知らせており、非常に面倒であったという。

そんな背景から、自動で鐘が鳴れば良いのにという機運が高まっていた。

そんな中、1300年ごろ高い塔の上からロープに繋いだ重りを降ろし、歯車を回して自動かつ決まった時刻に鐘が鳴るようにした機械式時計が発明された。

元々は修道士にお祈りの時間を知らせる為のものであったが、高い塔の上に鐘があり、鐘の音が民衆にまで聞こえた事で、教会だけでなく、地域の公共の時刻となり、やがて社会の時刻としてヨーロッパ全土へ広まっていった。

ちなみに、時計の事をクロックというのは、ラテン語で鐘(Clocca)というところから来ている。

1500年頃: 携帯できる時計と”Time is Money”の誕生

時計の歴史
出典: https://pixabay.com/

1500年頃: 大掛かりな機械式時計を、ポケットに入れて持ち運べるようにまで小型化した【懐中時計】が発明される。

しかし、非常に高価なもので裕福な貴族しか持つ事はできなかった。

一方で庶民は、太陽が昇ったら働き、太陽が沈んだら休むというその土地の自然のリズムに従って仕事をしていたが、塔にあるクロックの普及により、1500年代後半には皆が同じ時刻に従って行動するようになっていった。

しかし、キリスト教としては、「時間とは神のみが支配するものであり、時間を売ってお金稼ぎする事は神への冒涜である」と主張したのに対し、都市の商人・職人たちは、「時間は神から離れた客観的なものであり、組織的・計画的に時間を利用して利益追求をしていくことは問題無い」という主張で、真っ向から対立した。

時間労働に関する市民共同体の大きな意識の変化、一大革命が起こった時代だった。

1563年、エリザベス1世の統治するイギリスで、労働者の時間当たりの賃金を定めた法律ができる。まさに”Time is Money”が生まれた瞬間である。

しかし、当時時計は非常に高価なもので、所有できるのは裕福な貴族だけであった。そのため、労働者の労働時間を誤魔化したりして、時間を支配していたのである。

こうして、時計の所有者である管理者が、時間=賃金の決定権を持ち資本主義が成り立って行った。

1500年代後半: 宗教戦争と時計王国スイスの基礎固め

1500年代後半: 一方でカトリック教会はバチカンのサンピエトロ大聖堂を改修する為、多額の資金を必要としており、免罪符という、「お金さえ払えば罪が軽くなるよ、天国行けるよ」というインチキ紙切れを売りまくった。

特にドイツでは爆売れしており、これに憤慨したルター(ドイツザクセン州出身)が異議を唱えた宗教改革がヨーロッパ中に広がった。

特にフランスでは、ユグノー戦争と呼ばれる内乱に発展し、多くの人々がスイスのジュネーブに逃げて来た。

彼らの中には時計師も多く、緑豊かで水車という動力にも恵まれていた事から、今日まで続く時計産業の中心地として基盤が作られた。

1700年頃: 大航海時代とクロノメーターの誕生

出典: セイコーミュージアムHP

1700年ごろ: 大航海時代の到来により、ヨーロッパ諸国が我先にと新大陸や未開の地を求めて数々の航路を確保していったが、海難事故も頻繁に起きていた。その理由は、船の正確な位置が割り出せない事にあった。

今でこそGPSがあるが、当時は太陽や星を六分儀という機器で計測して、位置を割り出していた(私も大学時代、同様の方法を訓練させられていた。最初のころは、計算ではじき出すのに自分の位置を割り出すのに2時間はかかった。1か月毎日続けていくうちに、最終的には30分程度にまで短縮できるようになった)。

しかし、その計算のために、揺れる船上でも正確に時間を刻む【マリン・クロノメーター】が必要なのだが、技術的に正確な時計を同様の激しい船に置く事はできなかったのだ。

そこでイギリスは、1714年に、正確に船の位置を割り出せるようにしたものには2万ポンドの賞金(現在で言う数百億円)を与えるという法律を制定した。

これに我こそはと、多くの学者や技術者、時計師などが研究を始めた。ところが、このショーレースを勝ち抜けたのは、意外にも、一人の大工だった。

彼の名はジョン・ハリソン。大工の家計に生まれ、彼もまた大工の端くれであった。彼は6歳のころ天然痘にかかって、静養していた時に父が贈ってくれた時計の動きに心惹かれたという。

成長すると、父親の仕事を手伝いながら独学で機械工学を学び、20歳の時、仕事の合間に作った時計の性能の良さが近所で話題となり、いつしか時計師として生計を立てるようになった。

庶民出身の彼をよく思わない議会や他の研究者からの妨害を受けながらも、彼はこのショーレースに情熱を注ぎ、いくつもの実験機を経て、1764年にH5という時計を完成させた。これは5か月間の航海で誤差15秒という驚異的な精度を誇った

しかし、やはり彼をよく思わない勢力の妨害工作により、賞金は払われないままであった。

時の国王、ジョージ3世は、これに激怒し、国王隣席の下で実験をさせた。その実験で、1日の誤差0.07秒という記録を叩き出し、ついに賞金を受け取る事ができた。ハリソンが既に80歳になっていた時だった。

この正確さはハリソン・クロノメーターと呼ばれ、今日の時計の正確さの指標である【クロノメーター】に繋がっている。

ちなみに、”腕時計”で初めてクロノメーターに合格したのはロレックスである。

1735年: ブランパン創業

出典: ブランパンHP

1735年: 現存する世界最古の時計ブランド「ブランパン」が誕生。

1755年: ヴァシュロン・コンスタンタン創業

出典: ヴァシュロン・コンスタンタンHP

1755年: 世界三大時計の一角であるヴァシュロン・コンスタンタンが誕生。今日まで一度も途切れることなく時計を生産し続ける世界最古のブランドである(ブランパンは休止期間がある)。

こちらも合わせてご覧ください→知ってた?あの有名時計ブランドのロゴと誕生秘話ベスト5

1806年: 最古の”腕時計”の製作

1806年: 現存する最古の腕時計が作られる。皇帝ナポレオンが皇妃に送る為に制作依頼をしたものである。しかし当時の技術力では正確で小さな時計は作る事は出来ず、普及しなかった。

1880年: 世界初の腕時計の量産

出典: https://www.pinterest.co.uk/pin/113715959318551128/

1880年: ドイツ皇帝が「ジラールペルゴー」社に海軍将校用に腕時計を2000個作らせた。これが、【腕時計の始まり】とされている。

1840年ごろから、モールス信号などが使われ始め、戦争で多数の部隊が同時に動く戦略が可能となった背景がある。

戦場では、一瞬の判断が命取りになる為、当時の主流であった懐中時計では、役不足であった。しかし腕時計とはいっても、懐中時計を腕に巻き付けただけのような物であったという。

1904年: 世界初の男性用腕時計の誕生

出典: https://burroakbobcats.wordpress.com/2010/02/02/14-bis/

1904年: ライト兄弟が人類で初めて飛行機での飛行に成功したのが1903年。

まさに飛行機の黎明期、ブラジルのコーヒー王の御曹司であり、飛行家であったアルベルト・サントスが飛行中でも見やすい時計の開発を友人に依頼した。

その友人こそが、三代目のルイ・カルティエであった。カルティエは彼の為に、現代の時計の基礎となるケース構造を練り上げ強度をあげた(当時腕時計は女性のもので、男性は懐中時計をしていた時代)。

それは、当時の腕時計とは異なる構造であった。

驚くべきことに、世界で初めての【男性用腕時計】を作ったのはあのカルティエだったのである。そして同時に、この時計は世界で初めての【パイロットウォッチ】とも言えるだろう。

この時計は「サントス」と名付けられ、1911年から現在に至るまで販売されている。

ちなみに、当時のサントスの写真からは、懐中時計用のチェーンが見当たらない事から、飛行中のみならず、パーティの席や食事の席でも”腕時計”をしていたに違いない。

またカルティエもそれに見越していたかように、パイロットという勇敢さというよりは、ドレッシーで優美な時計を作っていた。”王の宝石、宝石の王”たる所以はここでも垣間見る事が出来る。

こちらも合わせてご覧ください→パイロットウォッチとは?選び方とおすすめベスト10【ロマンある時計】

1915年: (プッシュ式)クロノグラフの誕生

出典: https://www.goodspress.jp/howto/283673/2/

1915年: ブライトリング世界で初めての【クロノグラフ(ストップウォッチ機能付き)の腕時計】を開発した。

1914年に勃発した第一次世界大戦では、初めて数々の機械兵器が投入され、飛行機も戦闘に使われ、爆弾投下や偵察など、正確な経過時間を知る必要になった背景がある。

また、戦争による生産技術が向上し、それまで高級品であった腕時計の生産コストが下がった時代でもある。

1926年: 自動巻き腕時計の量産、本格防水時計の誕生

出典: https://watchnavi.getnavi.jp/topics/30367

1926年: フォルティスのジョン・ハーウッドが、世界で初めての【自動巻き腕時計】を発売する。それまでは、手巻きしかなかったが、その手間から解放されたのである。

出典: https://www.miller.fr/info/rolex-oyster-occasion/daily-mail-mercedes-oyster/

また、同年代に、ロレックスが”オイスターケース”と呼ばれる金属を切り抜いて時計のケースを作り、世界で初めての本格的な【防水時計】を発売する。

ロレックスは早速これを宣伝しようと、ドーバー海峡を泳いで渡るチャレンジをする女性記者の腕につけた。

女性は見事泳ぎ切り、ロレックスもまた問題無く正確に動き続けていた。これが大々的に報じられ、防水で丈夫=ロレックスと印象付いたという。

しかし実は、彼女よりも前に横断に成功した者もいて、成功時にはさほど大々的には報じられなかったそうだ。

しかし、その一か月半後、大々的に報じられることになる。真相は闇の中だが、ロレックスが広告費を払って、広告を打ったのではないかと推測される。

ロレックスはその後も人類初のエベレスト登頂や深海への挑戦に同行し、メディアを実にうまく活用している。そして、それに耐えうる完璧な製品を作る技術力も当時から流石であった。

こちらも合わせてご覧ください→なぜ、最初の高級時計にロレックスが最適か?5つの理由とおすすめモデル紹介

1931年: 初のスポーツウォッチ「レベルソ」誕生

ジャガールクルト レベルソ
出典: https://timeandtidewatches.com/hands-on-the-jaeger-lecoultre-reverso-tribute-duoface-in-pink-gold/

1931年: ジャガールクルトから「レベルソ」という時計が誕生する。

ラテン語で反転するという意味を持つこの時計は、インドに駐在するイギリス陸軍将校からの「ポロ競技をする際に、ガラスが破損しない時計が欲しい」という依頼から生まれた。

当時の風防(ガラス)は、質が高くなく、衝撃ですぐに割れてしまうものであったという。そこで、ジャガーとルクルトが考案したのが、時計を反転させて、ガラスを隠すという画期的な方法であった。

アールデコ様式を用いてデザインされたレベルソは、いわば世界で初めての【スポーツウォッチ】であったと言える。現在では、その佇まいから、生まれとは真逆のドレスウォッチとして認識される事が多いから面白い。

ちなみに、1932年には、オメガからマリーンというレクタンギュラー(角型)の防水時計が発売されている。

こちらも合わせてご覧ください→女性用腕時計ランキングベスト8【レクタンギュラー・スクエア型】

1932年: 丸型時計の模範「カラトラバ」誕生

patek-philippe-calatrava
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この時期は、角時計が流行っていたのかもしれないが、面白い事に、同じく1932年にパテック・フィリップから、永遠の定番、ラウンド時計の傑作と呼ばれる「カラトラバ」が発売されている。

このカラトラバは、時計学者によるデザインで、形状は機能に準ずるというバウハウス芸術の哲学に則っている。

こちらも合わせてご覧ください→ドレスウォッチとは?選び方とおすすめベスト10【全ての紳士必見】

1936年: 耐磁の「IWC パイロットウォッチ」誕生

1936年: IWCからパイロットウォッチが発表される。

当時の飛行機は様々な機械を載せるようになり、パイロットは磁気に晒されるようになっていた。ポケットのチョコレートが溶けるほどだったと言う。

磁気は時計の天敵であることから、IWCのパイロットウォッチは、磁気の影響を受けにくくする工夫が施された。

また、瞬時に時間を読み取れるように、大ぶりなアラビア数字を採用し、経過時間がわかるベゼルが採用されていた。

これらのデザインは今後のパイロットウォッチの方向性を示した。

こちらも合わせてご覧ください→【比較レビュー】ブライトリング ナビタイマー vs IWC マーク18【空中戦】

1936年: 潜水時計「ラジオミール」誕生

出典: https://www.petitegeneve.com/en/news/panerai/

同じく1936年、イタリアのパネライ【潜水時計】ラジオミールの開発に取り組みプロトタイプを完成。

今でも同社のアイコンであるクッションケースが誕生した。ちなみに、開発を担当したのがロレックスだと言われている。

この潜水時計は、イタリア海軍潜水特殊部隊にのみ納入され、1990年代後半まで一般に知られていなかった、謎の多い時計である。戦争時の潜水攻撃に使用されていたとされる。

こちらも合わせてご覧ください→ダイバーズウォッチとは?選び方とおすすめベスト10【タフな相棒】

1953年: ダイバーズウォッチ「フィフティ ファゾムス」「サブマリーナ」誕生

1953年: ブランパンから発表した世界初の【ダイバーズウォッチ】「フィフティ ファゾムズ」は、約100mの防水性能を持っていた(フィフティファゾムズとは300フィート、つまり91.5mを意味し、当時使われていた装備でダイバーが潜ることのできた最も深い水深)。

“この時計は第2次世界大戦中に英国諜報部員であり、その後フランスの軍事潜水部隊のリーダーとなったボブ・マルビエ船長の依頼により作られたものである。

彼はブランパンに、ブラック文字盤と大きなアラビア数字、クリアな表示、そして回転式ベゼルを備えた時計を作るよう依頼。

マルビエ船長は後に、「我々が求めた文字盤上のマーカーは、羊飼いを導く星のようにあってほしかったのだ」と語っている”(引用: Web Chronos)

ロレックス サブマリーナ ノンデイト

一方で、歴史に残る初期のダイバーズウォッチのなかで、知名度の点で群を抜くのは、同1953年に同じく発表された100m防水を誇るロレックス「サブマリーナー」だ。

事実、同社も1953年に誕生した「サブマリーナー」をもってダイバーズウォッチの“原型”と明言しているが、現在目にするようなダイバーズウォッチの機能やデザインの元となっているのは間違いない。

まさに原点にして頂点。どちらに「初」の軍配を上げるかは困難。

元々軍用であった、フィフティファゾムスが広く一般に知られるきっかけになった有名なエピソードがある。

フランスの海洋学者で水中呼吸器のスクーバ(アクアラング)の発明者の一人、ジャック=イヴ・クストーが深海ドキュメンタリー映画『沈黙の世界』(1956年)の中でこの腕時計を実際に使用し、作品がカンヌ映画祭で最高のパルムドールを受賞したことだ。

一方「サブマリーナー」も映画と無縁ではなく、スパイアクション映画『007』シリーズで初代ジェームズ・ボンド役のショーン・コネリーが「サブマリーナー」の初期モデルを着用したことが有名だ。

当時としては、腕時計の中でも特殊な部類に属するダイバーズウォッチの認知度を高め、「かっこいい男の時計」というイメージを広めるのに、広告キャンペーンではなく、しかも意図したわけでもなく、こうした映画のヒーローが一役買ったのはなんともおもしろい。

ちなみに、1950年代後半には、オメガからシーマスター300、ブライトリングからスーパーオーシャンが発売されている。どちらも200m防水を誇り、双璧を成していた。

こちらも合わせてご覧ください→ロレックス サブマリーナ 対 オメガ シーマスターダイバー300M【比較レビュー】

1969年: 「スピードマスター」が月面着陸

宇宙に行った時計
出典: https://www.funkidslive.com/learn/deep-space-high/marvellous-missions/spacecrafts/#

1969年: 人類初の月面着陸にオメガ「スピードマスター」が同行。すわわち、世界で初めて地球以外の天体上で使用された腕時計ということになる。

スピードマスターはもともと、レーシング用の時計として1957年に発売されたものである。同時期、ロシアと宇宙開発競争を繰り広げていたNASAは、宇宙での使用に耐えうる時計を探していた。

様々なブランドの一般販売品を買って来て、試験した結果、唯一宇宙での活動に耐えられると合格したのがスピードマスターであった。

それからスピードマスターは、NASAの公式装備品となり、1969年人類の偉業達成の一員となったのだった。

オメガスピードマスター
出典: オメガHP

また、それ以外に有名なエピソードとしては、1970年にアポロ13の事故から実際にこのスピードマスターが3人の宇宙飛行士の命を救ったというものがある。

アポロ13はもともと曰く付きであった。13はキリスト教圏では、不吉な数字とされているうえに、発射時刻も13時13分であった。アポロ13は月面着陸を目指していたが、発射から2日後電線のショートから起きた火花によって爆発事故が発生する。

そのため、深刻な水・電力不足に陥り、月面着陸をあきらめ、目標を地球への生還とした。しかし電力を最小限に抑える為、ほとんどの計器が使えなかった。

何とか月を周回し、地球に向かう頃には、軌道がそれている事が発覚した。地上管制の計算の結果、月面着陸用船のエンジンを14秒噴射すれば軌道が戻るということだった。

しかし、計器は使えない。彼らの腕に巻かれたスピードマスターを除いては。

彼らはスピードマスターのクロノグラフ機能(ストップウォッチ機能)を用いて、14秒ぴったりエンジンを噴射し、無事地球に帰還した。

この華麗な帰還劇は、成功した失敗(Successful failure)と呼ばれた。そしてオメガには、乗組員の命を守ったとして、NASAからシルバー・スヌーピー賞が贈られたのだった。

こちらも合わせてご覧ください→宇宙好き必見!あの宇宙飛行士を支えた腕時計とその物語 5選

1969年: 自動巻きクロノグラフ「エルプリメロ」誕生

同じく、1969年は時計業界にとって革新的な年だった。

スピードマスターの偉業だけでなく、世界初の【自動巻きクロノグラフ】が誕生・発売されたのだった(それまではクロノグラフは手巻きだった)。

この世界初の栄冠はセイコーだと言われている。しかし、当時の広告や記事では、そこまで大々的なものではなく、セイコー自身も自分達が世界初という認識はなかったのかもしれない。

遅れる事数か月、ゼニスからかの有名な自動巻きクロノグラフ「エルプリメロ」が誕生した。

今なお時計マニアから非常に人気を博しているこのムーブメントは、生きた化石と言えるほどに、古典的な構造をしているだけでなく、1秒間に10振動という最速のハイビートを刻むことがマニア心をくすぐっている。

いわば、クラシックレーシングカーのようなものであろう。続いて、ブライトリング・ホイヤー・ハミルトンらが連合で開発した自動巻きクロノグラフが同年に発表されている。

自動巻きクロノグラフの開発には、長年の研究と莫大な費用がかかる。ところが、3つのメーカーが同年に相次いで発表、世界初はタッチの差であったのは非常に面白い。

こちらも合わせてご覧ください→クロノグラフとは?選び方とおすすめベスト5【車好きも必見】

1969年: クォーツ式腕時計「アストロン」誕生

出典: https://motoringjunction.com/featured/electric-cars-future-quartz-revolution/

同じく1969年のクリスマス、セイコーはもう一つの衝撃を世界に与えた。クォーツ時計の発表である。

セイコーアストロンと名付けられた腕時計は、当時の腕時計の精度が日差数十秒が当たり前だったのに対し、日差0.2秒という驚異的な精度を誇った。

価格は45万円と、当時の大衆車カローラよりも高かった。今でいうと250万円くらいだろうか。

次第に生産技術が向上し、低価格が実現すると、爆発的に世界中に広がった。

当時の時計産業の中心であった、スイスやアメリカに大打撃を与え、クォーツショッククォーツクライシスと呼ばれ、多くのメーカーが廃業に追いやられた。

そんなメーカーの一つが、先述したゼニスである。

アメリカ資本に買収されたゼニスは、これからはクォーツの時代だから、機械式の資料は全て破棄するようにと、オーナーから通達された。これは、かのエルプリメロも同じであった。

しかし、一人の時計技師がこっそりと資料を持ち帰り、屋根裏部屋に隠したのだった。

時は流れ、機械式時計の良さが見直されるようになった時、ゼニスには機械式時計の資料が無かった。

そうした折に、あの時計技師が、屋根裏に隠していた資料を引っ張り出して来たのだった。

これにより、ゼニスはエルプリメロの生産を再開する事ができ、今日でもクロノグラフの名門としての地位を維持している。

こちらも合わせてご覧ください→腕時計の機械式とクォーツ式の違いとは?どちらが買いか?

1972年: ラグジュアリースポーツウォッチ「ロイヤルオーク」誕生

出典: https://www.houronlywatches.com/actualite/19/audemars-piguet-royal-oak-extra-plate-39mm.htm

1972年: セイコーがクォーツ時計で世界を震撼させたころ、世界三大時計の一角、「オーデマ・ピゲ」もまた、革新的な時計を発表する事になる。

それが、かの有名な「ロイヤルオーク」だ。

当時高級時計は金などの貴金属が当たり前なのに対して、ロイヤルオークはステンレススチールを用いた。

そうすることで、軽く、丈夫で、傷に強い世界初の【ラグジュアリースポーツウォッチ】が出来たのだった。

さらに驚くべきは、安価なステンレススチールにも拘わらず、貴金属時計と同等の値段を設定した事だった。

しかし、これは妥当な値段だった。なぜなら、当時の技術では固いステンレススチールを扱うのが難しかったからだ。しかしオーデマ・ピゲはこれをやってのけた。

時計のデザインは、後の天才時計デザイナーと称えられるジェラルド・ジェンタ。イギリスの駆逐艦ロイヤルオークの舷窓に着想を得てデザインしたという。

このデザインのすごい所は、ただの紙面上のデザインではなく、どの面をどう磨くとか、ネジの配置はこうだとか、工業製品として考慮されたデザインであったことだ。

しかも、ステンレススチールという、当時このジャンルで未知の素材であったものの魅力を120%引き立てる為のデザインであった。

当時の主流は金属を”曲げて”つくることであったが、このロイヤルオークは”叩いて”作った事により、スリックなオーラを放っている。

しかし、当時の時計に比べてかなり大ぶりであったこと、新しすぎた事などからあまり売れなかったと言う。

しかし今日では、世界中で予約が取れない程の人気商品であり、同社の生命線になる程、大物の時計となっている。

ちなみに、ラグジュアリースポーツウォッチは、1976年にパテック・フィリップから同じくジェンタがデザインした「ノーチラス」、1977年にヴァシュロン・コンスタンタンからイルグ・ヨゼックがデザインした「222(現オーヴァーシーズ)」が発表され、世界三大時計のラグジュアリースポーツウォッチが同年代に出そろった。

こちらも合わせてご覧ください→万能な高級時計が欲しい人へ!ラグスポ時計の選び方とおすすめ10選

1982年: ダイバーズウォッチがISOで定義

James-Bond-Watches
出典: https://www.chrono24.com/magazine/james-bond-watches-from-rolex-to-omega-and-beyond-p_20958/#

1982年: 国際標準化機構(ISO)はISO 6425を発表し、時計に「ダイバーズ」ウォッチと名乗るために必須な特徴を定義した。

そこには防水性に関する規定(文字盤に記された情報よりプラス25%の防水性能が求められた)や、水中での視認性、温度変化への耐性、経過時間の計測機能などが含まれていた。

ISO 6425は1982年に制定。それ以降、2度にわたって改訂を受け、96年にISO 6425-1996でほぼ完成形となり、2008年に再認証を受けて現在に至る。

1983年: 「G-SHOCK」誕生

カシオ G-SHOCK
出典: カシオHP

1983年: カシオからG-SHOCKが発売される。

これは、1981年にカシオの社員が時計を落として壊してしまったことから、3人のメンバーで常識を壊す時計を造ろうと言うところからプロジェクトが始まった。

「トリプル10」(落下強度10m、防水性能10m、電池寿命10年)を目指しており、全てのG-SHOCKはこれをクリアしている。

プロジェクト開始当初、開発は困難を極めた。衝撃に耐えるには、時計を覆うクッション材が必要で、テニスボール程の大きさだったと言う。

こちらも合わせてご覧ください→安くて良質な時計が欲しい人へ!5万円以下で買える機械式時計10選

1983年: スウォッチグループ誕生

出典: http://www.mybelovedlebanon.com/2010/06/swatch-watchmaker-nicolas-hayek-dies-at.html

セイコーのクォーツショックにより、スイスの時計業界は大打撃を受け、かつてないほどに弱っていた。

そこで、各メーカーは生き残る為に統廃合を繰り返し、巨大グループを形成していった。1983年に最初のグループが誕生、それがSWATCHグループである。

グループ全体をその製造機能やブランドのポジショニングで合理的・効率的に再編して、組織・人員のリストラ・配置換えを行った。

まず、各ブランドがそれぞれ独自に行っていたムーブメントの製造・組立をすべてETA社に集約させ、所属ブランドは全てETAからムーブメントを調達するようにした。

また、傘下ブランドのポジショニングの重複に留意し、選択と集中によって各ブランドのコンセプトの違いをはっきりさせ、相互補完的にリポジショニングしながら、モデル数を絞ることで、生産・マーケティング両面での合理化を図った。

新たな大規模グループによる、生産システムとブランド・マーケティング両面での巧みな「選択と集中」戦略は、スイスの提携銀行グループの信用を勝ち取り、多大な融資を得て、業界全体を段階的に復興させていった。

1988年には、カルティエが中心となり、ラグジュアリーブランドを中心としたリシュモングループが発足し、1999年には、LVMHグループが発足。

こうして、世界三大時計派閥(グループ)が誕生したのだった。

まとめ

いかがだったでしょうか?

時計の歴史=人類活動の歴史にリンクしていることが少し伝わったかと思います。

今から6000年前、我々の先祖が地面に一本の棒を立てたところから、時計の歴史は始まっているんですよね。

それから水、砂、火、塔、機械と時計の形は変わってきました。そして、今我々の腕に乗っていると考えると、壮大なドラマの延長線上にいるように思えてきます。

ああ、素晴らしき深淵なる時計の世界かな。

以下の動画で、今回の内容を映像でさらに分かりやすく解説しています。

時計好きはもちろん、日本人全ての人に見てほしい動画になっています。

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ではまた!ありがとうございました。

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RY
年の半分以上を海外で過ごすアラサー。26歳の時に初めて機械式時計を買ってから時計の世界にどっぷりとハマる。2018年有名高級時計雑誌クロノスにて「ワナバイウォッチグランプリ コメント大賞」受賞。2019年ブログ「腕時計のある人生」開設。好きなものは時計、クルマ、バイク、スーツ、靴、野球、浦和レッズ、映画、アニメ、クラシカルなもの、テラス席。YoutubeとTwitterもやってます。