時計好きの皆さん、時計の”何フェチ”ですか?
時計好きでない人には理解できないかもしれませんが、時計好きにも色々と流派があります。
デザインフェチ、ステータスフェチ、ムーブメントフェチ、資産価値フェチなどなど。
僕は歴史・ストーリーフェチです。
本記事では、そんな時計のストーリーフェチである僕が選んだ、時計にまつわる感動ストーリーベスト5を発表したいと思います!
目次
物語フェチの僕が選ぶ!感動の時計物語ベスト5
第1位: 最悪の事故から人類を救った腕時計 オメガ「スピードマスター」
スピードマスターは1957年に誕生しました。その名の通り、元々モータースポーツでの使用を目的として開発された時計です。
ところが、今日では「月面に降り立った時計: ムーンウォッチ」としてその名を馳せています。その経緯を少し紹介したいと思います。
時は1960年代、ロシアとアメリカは宇宙開発を競い合っていた時代。アメリカのNASAは、宇宙での使用に耐えうる時計を探していました。
様々なブランドの一般販売品を買って来て、あらゆる試験を行った結果、唯一宇宙での活動に耐えられると合格したのがスピードマスターでした。
それからスピードマスターは、NASAの公式装備品となり、1969年の月面着陸という人類初の偉業達成の一員となったのです。
これにより、スピードマスターはムーンウォッチと呼ばれるようになりました。ここまでは割と有名な話です。
しかし、スピードマスターの本当の真価は、この翌年の1970年、アポロ13号で発揮されることになります。
アポロ13号はもともといわく付きでした。13はキリスト教圏では、不吉な数字とされているうえに、発射時刻も13時13分だったのです。
アポロ13は月面着陸を目指していたものの、発射から2日後、電線のショートから起きた火花によって爆発事故が発生します。
そのためアポロ13は、深刻な水・電力不足に陥り、月面着陸をあきらめ、目標を地球への生還としました。
しかし電力を最小限に抑える為、ほとんどの計器が使えない状況です。
それでも何とか月を周回し、地球に向かう頃になると、今度はアポロ13の軌道がそれている事が発覚します。
地上管制の計算の結果、軌道を地球上へ戻すには、月面着陸用船のエンジンをぴったり14秒噴射しなければならないことが分かりました。
しかし、宇宙船の計器は使えません。彼らの腕に巻かれたスピードマスターを除いては。
彼らはスピードマスターのクロノグラフ機能(ストップウォッチ機能)を用いて、14秒ぴったりエンジンを噴射。そして、無事地球に帰還しました。
この華麗な帰還劇は、「最も成功した失敗(Successful failure)」「偉大な失敗」と呼ばれ、今でも語り継がれています。
そしてその立役者となったオメガには、乗組員の命を守ったとして、NASAからシルバー・スヌーピー賞が贈られたのでした。
もしスピードマスターが機能していなければ、3人の宇宙飛行士は宇宙の彼方へと放り出されていたことを考えると、スピードマスターの凄さを思い知ります。
宇宙に行った時計についてさらに詳しく知りたい方はコチラ→宇宙好き必見!あの宇宙飛行士を支えた腕時計とその物語 5選
第2位: 会社の命令に背いて歴史的遺産を守った職人 ゼニス「エルプリメロ」
ゼニスは世界初の自動巻きクロノグラフを開発した一社でもあります。
ゼニスの自動巻きクロノグラフ「エルプリメロ」は、生きた化石と言えるほどに、古典的な構造をしているだけでなく、1秒間に10振動という最速のハイビートを刻むことがマニア心をくすぐっています。
いわば、クラシックレーシングカーのようなもので、今なお時計マニアから非常に人気を博しています。
あのロレックスのデイトナでさえも、かつてはエルプリメロのムーブメントを載せていたほどの名機です。
しかし、今私たちがエルプリメロを楽しめるのは、一人の時計職人の英断があったことはあまり知られていません。
1970年代、アメリカ資本に買収されたゼニスは、「これからはクォーツの時代だから、機械式の資料は全て破棄するように」と、オーナーから通達されました。
これは、ゼニスの渾身の力作である「エルプリメロ」も同じでした。
このエルプリメロの開発段階から関わっていた一人の時計職人シャルル・ベルモ氏はオーナー陣に、「きっとまた機械式時計の時代が来るから、資料は残したい」と懇願しました。
しかし、それは却下。全て破棄との命令が下されてしまいました。
時は流れ1980年代、機械式時計の良さが見直されるようになり、ゼニスも機械式時計を復活させたかったものの、機械式時計の資料は全く残っていませんでした。
困り果てていたところに、時計職人シャルル・ベルモ氏が、機械式時計の資料を持ってきました。
実は、オーナー陣に資料の破棄を命令された後、彼は独断でこっそりと資料を持ち帰り全てラベルを貼って、屋根裏部屋に隠していたのでした。
これにより、ゼニスはエルプリメロの生産を再開する事ができ、今日でもクロノグラフの名門としての地位を維持しています。
そして彼の英断は、歴史的名機エルプリメロを守り、世界中の全時計ファンから英雄として認識されています。
いや~凄いですよね。会社の決定にを覆すために、一人上層部へ掛け合う度胸。そして、それでもだめだったらと、独断で隠してしまう行動力。
ベルモ氏の時計愛の深さ、そして行動力に深く心打たれました。
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第3位: 偉大な俳優/レーサーを想う妻の気持ち ロレックス「デイトナ」
デイトナは、アメリカのデイトナビーチで行われるカーレースに名前が由来されるように、モータースポーツととても関係が深いです。
レーサーでもあり、3度のアカデミー賞を受賞した大俳優でもある「ポール・ニューマン」もこの白いデイトナRef.6239を着用していました。
このデイトナRef.6239の裏蓋には、「DRIVE CAREFULLY(安全運転で)」と、妻からのメッセージが刻印されていたのです。
レーサーである夫の安全と無事を何よりも願う妻の想いが込められた一品でした。
ポール・ニューマンはこの時計を娘のボーイフレンドに託します。
彼は大事に保管し続け、2017年に財団を立ち上げ、寄付するためにオークションに出します。
その結果、それまでの最高落札価格5.8億円を大きく上回る、史上最高価格の20億円で落札されたのです。
ちなみに、ポール・ニューマンはデイトナRef.6239を娘のボーイフレンドに譲った後、黒のデイトナを着用します。
その黒のデイトナの裏蓋には、妻からのメッセージ「Drive Slowly(ゆっくり運転してね)」となんともウィットに富んだメッセージが込められていました。
レーサーである夫へのメッセージであれば、普通「一番にゴールして」とか「優勝」とか、そういうものかなと思うのですが、レースでの勝利よりも夫の身の安全を祈る妻の想いにグッときました。
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第4位: 安定を捨て、貧困に苦しむ村を時計の聖地へと育て上げた名士「ランゲアンドゾーネ」
ランゲアンドゾーネは1845年、アドルフ・ランゲによりドイツのザクセン州グラスヒュッテの村で創業されました。
元々宮廷時計師の弟子であったアドルフ・ランゲは、時計修行の旅のためヨーロッパ各国を3年間巡ります。
修行の旅から戻ってきたランゲは、宮廷には戻らず、資源枯渇などで貧困に苦しんでいたグラスヒュッテを救う為、時計産業による村おこしをはじめます。
人材の育成にも取り掛かり、文字通り”ランゲアンドゾーネ(ランゲとその息子たち)”によって、グラスヒュッテはドイツ時計の聖地へと変貌していったのです。
時は流れ、ランゲアンドゾーネは、第二次世界大戦時に軍需工場として接収され、空爆により焼失してしまいます。
しかし、ベルリンの壁崩壊後、4代目ウォルター・ランゲによって見事に復興を果たし、復活から極僅かの期間で、世界五大時計に数えられるほどの地位にまで上り詰めています。
そんなランゲアンドゾーネの特徴は、”美しすぎるムーブメントの磨き込み”と、全てのモデルで実施している”二度組み”です。
この二度組みは、一度時計を組上げて、検査したのちに、またばらしてパーツを一から磨き上げて、また組みなおすという非常に手間のかかる作業です。
超一流ブランドでも、特別なモデルにしかしていないこの手法を、なんと全ての時計で実施しています。
それゆえに、年間の生産本数がとても少なくなってしまうのですが、一切の妥協を許さず、理想の時計を目指し続けるのがランゲアンドゾーネなのです。
宮廷にいれば一生安泰のところ、修行の旅に出るというのが凄いですし、修行後も宮廷ではなく、あえて貧困に苦しむ村を拠点にするというのも凄い選択です。
しかも、旅の途中では、時計王国のスイスにも寄っています。そんな最高の場所ではなく、自国の小さな村を時計の聖地に育てあげ、世界五大時計にまで上り詰める不屈の精神。
どんな時も逆境を乗り越え、理想を突き詰めるランゲアンドゾーネの物語、かっこよすぎます。
ランゲアンドゾーネ他、通なブランドを知りたい方はコチラの記事がおすすめです→人と違う腕時計が欲しい人へ!時計愛好家も唸る通な時計ブランド5選
第5位: 打倒王国スイス!ロゴに込められた決意「グランドセイコー」
グランドセイコーは1960年、高級時計市場を独占していたスイスの牙城を崩すため設立された、日本のクラフトマンシップの結晶とも言えるブランドです。
グランドセイコーの時計は、針やインデックス、時計の本体や尾錠に至るまで磨きが凄まじく、室内の照明下でさえ、凛とした光を放ちます。
これをグランドセイコーは“光を研ぐ”と表現していますが、まさに言い得て妙です。
“研ぐ”という言葉から、私が真っ先に連想するのは日本刀ですが、まさに美術館に展示されている日本刀のようなオーラと輝きを放っています。
グランドセイコーは、「最高の普通を作る」という理念を掲げているのですが、この磨きこみと輝き方は普通ではありません。
普通、つまり基本を極めると、ここまで輝く美しい時計を作ることが出来るのかと感動さえしてしまいます。
そしてそのグランドセイコーのロゴには、濃い紺色「勝色」が用いられています。
この勝色は、古来より日本に伝わる色です。
平安時代、皇族や貴族に仕える武官の着物の一種に使われる色でした。
鎌倉時代では、縁起物として武士に広く愛好されるようになり、鎧までこの勝色に染めたと言います。
オリンピックの日本代表選手団の制服にも、この勝色が使われることがありますよね。
元々紺色(ネイビー)が紋章や被服に使われる場合には、“ロイヤルネイビー”という言葉があるように、忠誠、信望、謙譲、清楚、高貴などを表します。
日本のみならず、西洋文化においても重要な色で、特に英国海軍の繁栄と共に世界的に価値を高めた色でもあります。
私もネイビーは大好きで、制服はもちろん、私服やスーツもネイビーですし、万年筆のインクも”深海”と呼ばれるネイビーにしてるほどです(ブログのロゴもネイビー)。
推測するに、グランドセイコーは、世界と戦うために日本古来より伝わる縁起の良い「勝色」を使ったのではないでしょうか。
また、グランドセイコー裏蓋には威厳溢れる「獅子の紋章」が刻まれています。
獅子は古来より威厳や力、王の象徴とされてきました。世界に追いつき・追い越すという野望と意志の強さが表れていると思います。
そして、Grand Seikoの文字は力強い「ドイツ文字」になっています。
このドイツ文字の採用に至っては、グランドセイコーのHPに経緯が書いてあったので、紹介します。
“ロゴマークのデザインは、服部時計店の本店と支店の合議制で決められた。本店では意見が割れたが、大阪支店と名古屋の支店がドイツ文字を支持。その結果、現在のグランドセイコーにまで受け継がれるロゴマークが完成した。”(引用: グランドセイコーHPより)
「勝色」「獅子の紋章」「ドイツ文字」と、どれをとっても、世界と戦うんだという「意志の強さ」と自社製品への「誇りと自信」が感じられます。
そしてグランドセイコーは意志通り、圧倒的な作りこみや精度、スプリングドライブという唯一無二の機構を搭載し、世界のトップブランドに名前を連ねています。
グランドセイコー他、色んなブランドのロゴの考察はコチラ→知ってた?あの有名時計ブランドのロゴと誕生秘話ベスト5
まとめ
いかがだったでしょうか?
今回は、僕の好きな時計の物語ベスト5について書いてみました。
他にもまだまだ良い話があるのですが、長くなるので今回はこれだけにしておきます。笑
デザインやステータスで時計を選ぶのも良いですが、歴史や物語で時計を選ぶのも僕は良いと思っています。
皆さんの時計選びの参考になれば嬉しいです!
もしまだ腕時計選びで悩んだり、迷っているようでしたら「たったの3ステップで理想の腕時計を見つける方法」をまとめたので、これを読めば理想の時計にぐんっと近づくと思います。
ではまた!ありがとうございました。